こんにちは。まごきょんです(*´ω`*)
まごきょんの生い立ちをぶっちゃけてしまおう!と先日からスタートしたシリーズ「まごきょんの生い立ちストーリー」。
今回から、本格的に綴っていきたいと思います。
難産の末に
私が生まれたのは、豊臣秀吉がはじめて築いたお城「長浜城」と「曳山祭り」が有名な土地。東に伊吹山、西には琵琶湖。そのちょうど間で暮らす父と母の長女として、桜の季節に誕生しました。
さらに、人類初の月面着陸した年。そして国民的テレビアニメ『サザエさん』が放送開始された年でもあるんです。
ま、バリバリの昭和世代ってことですね。(笑)
かなりの難産(最後は吸引!)だった母は相当しんどかったらしく、本気か冗談かわかりませんが、とても次の子を産む気になれなかったようです。なので、兄弟はいません。
私はひとりっ子として、小さいころはわりと厳しく育てられました。
「やっぱりこの子は、ひとりっ子だから甘やかされて育ったのねー。」とか言われないよう…。
そんな母なりのプレッシャーがあったようで、実際私にも、よくそう言ってたことが記憶にあります。
今から思えば、「ひとりっ子」という事実が、私のコンプレックスにならないように。
そういう想いで育ててくれたんだと思います。(でも、逆にそれがコンプレックスを植え付けることになりかねませんが…^^;)
何が厳しかったのか、漠然としか覚えてないんですけど、とにかく作法とか挨拶にはうるさかったですね。
- 靴を脱いだらキチンとそろえるとか
- 呼ばれたらすぐに返事するとか
- 近所の人に会ったら挨拶するとか
- 肘をついてご飯を食べないとか
- 迷い箸、寄せ箸をしないとか
- お茶碗にごはん粒を残さないとか
- まずお父さんにご飯をよそうとか
- お箸の持ち方とか(あ、これは父だわ)
- ピアノの練習は朝学校へ行く前と夜の1日2回とか
なーんか、いろいろあったなぁ…。
子どもの頃は「もーお母さんってば、うるさいなー!」と思いつつ、怒られるのが怖くて言うとおりにしてたけど、大人になってからは、逆に感謝しています。
おかげで、一応最低限のマナーは身についたのかな?!って。
ちなみにお箸の持ち方は、自分で言うのもなんですが、ほぼ完ぺき。教えてくれた父には、本当に感謝です。
父は滅多なことで声を荒げる人ではなくて、お箸の持ち方も父のマネをしていたら、自然に身についた感じでした。
方向転換?!
まぁ、母が厳しかったとは言っても、中学へ入学する頃になぜか急に優しくなったのです。「あれ?なんかおかしい?!お母さんなんかこのごろ優しいんとちゃう???」
拍子抜けしたんでしょうね、私…。その後、特に反抗期を迎えることなく、高校卒業まで実家でぬくぬくと過ごしました。
ちなみに、いろんな方との出会う中で、10人中10人が私のことを「ひとりっ子には見えない!」と、おっしゃいます。
「弟がいそう!」
「絶対、お姉ちゃんだと思ってた。」
・・・と。
えーっとお母さん!?これってイイ意味として受け取っていいんだよね?
つまり、母の教育は結果的に正しかった、ってことなんでしょうか…。
My History|02|へつづく・・・
* * * * *
ごく普通のサラリーマンとごく普通の兼業主婦だった30代の夫婦。
土地なし資金なしコネなしから、夢だったログハウスをハーフセルフビルドすることに成功。
その後すぐに子どもに恵まれ、出産を機に自然豊かな移住先で起業。
10年以上たった40代の今現在でも、雇用されることなく好きなことを仕事として、愛する家族と琵琶湖を望むログハウスで過ごす時間がたっぷりある。
その理由とは…。
動画で私自身が語っています(●´ω`●)↓
- 田舎で暮らしたい!
- 環境の良い土地へ移住したい!
- ライフスタイルを変えたい!
- 好きなことを仕事にしたい!
- 理想のマイホームを建てたい!
- 家族仲良く暮らしたい!
- 夫婦関係を良くしたい!
- もっと健康になりたい!
- もう少しお金に余裕が欲しい!