こんにちは。まごきょんです(*´ω`*)

前回のMy History|06|中学生時代からの続きです。


高校は甘くない?!

勉強学習

高校時代は、勉強や大学受験というものに途中まで振り回されてました。


というのも、仲の良かった友達がみんな行くからという軽い理由で受験した高校。そこは、県内で(当時は)3本の指に入る進学校だったのです。


高校受験は、さほど苦労することなくクリアできたですが、入学してからが大変。2年3年と、学年を上がるごとにやっぱり勉強が難しい~( ̄▽ ̄;)


3年生は理系と文系にわかれるんですけど、クラス全員が男子という、通称男組ができるほど男子が多い。私たちの学年も、女子は350人中100人も居ませんでしたから。


で、特に苦手だったのが物理!も~~苦手中の苦手で、テストで赤点をとったこともあります。


でも、数学は得意だったんですよ。教えるのが天才的にうまい先生がいらして、この先生のおかげで数学は大好きでした。おかげで満点をとったことも。

本当に高校時代は、教科によって差が激しかったですね^^;


のんびりバスケット部と熱狂体育祭

部活は、またもや懲りずにバスケットボール部。

先輩が二人だけという弱小チームだったので、1年からいきなりレギュラーです。でも、和気あいあいとして楽しい部活でした。(女子は^^)


ちなみに、高校時代でイチバン印象に残っているのは体育祭。生徒がダンスの曲を選び、振り付けを考えて衣装も手作りして、クラス対抗で踊りを披露して競い合うのです。


そんな、高校ならではの伝統的な行事を初体験する1年生の時は、とってもワクワクドキドキしたことを覚えています。


やっぱり我が道を行く!?

我道

まぁ、学年が進むにつれ勉強が難しくなるのは当然と言えば当然です。


だって、みんな大学受験を目指しているんですものねぇ。3年生になると、クラスが文系と理系に分かれて本格的に受験に備えるのですから。


でも実は、2年生ごろまで、そんな大学受験の波に飲み込まれ、私も知らぬ間に受験を目指しそうになっていました。


ところが、2年生の終わり頃、もともとの目標を思い出したんです。(えらいぞ!私!)


「そうそう、私は服飾の道に進みたかったんだ。」

「普通科高校へ進んだ理由は、専門学校の選択肢が広がるからだった!」

「中学3年生の担任の先生が、そう言ってたじゃん!」

・・・と。


そこに気がついた私は、あっさりと大学受験をやめることに。そして、せっせと専門学校の資料を取り寄せました。


東京、名古屋、神戸の学校を選び出して、その中から名古屋の服飾専門学校に決定。推薦入学の枠があったので、あっさりと進学確定です。


なので高校3年生は、受験勉強を頑張っている同級生を尻目に、すごく自由でのびのびと過ごしていました(*´ω`*)


3年生は部活も終わり超暇なので、少しでも資金を貯めようと、マクドナルドでせっせとアルバイトをしたり。(当時地元にマクドができたばかりで、アルバイトと言えばそこしかなく…)


ちなみに、進学については後日談があり。実は担任の先生が、わざわざ自宅まで来ていたんだそうですよ。


なんのために?


実は「娘さんを大学へ進学させてあげてください。」という先生の提案なのか、お願いなのか・・・。そのためでした。


当然両親は「専門学校へ進むことは、娘の希望なので。」と丁重にお断りしたそうです。


先生の本音は、もしかすると私のためというより「大学への進学率アップ」という、ある意味ノルマ(?)を果たすため、だったのかもしれません。(いや、おそらくそうですよね?!もしちがってたら先生ごめんなさい…。)


という訳で、後半はいよいよ夢に向かって進めるという希望を胸に、自由な高校生活を送りました。


その頃から「常識」にこだわらず、自分の行きたい道を突き進むことに、私はためらいがなかったのですね。

周りはまわり。
自分は自分。
こう!と思ったら突き進む。
やりたいように、やるだけ。
後悔はしたくない。

今でも、私は変わってないのかも?!


高校を卒業すると、実家を出て名古屋で女子寮生活をすることになりました。これも両親は、意外とあっさり許してくれました。

本当に、とことん私のことを信じてくれていたのですねぇ。


今でも覚えている父の言葉。それは、

「親が子供のことを信じなければ、誰が信じてやるんや。」

でした。


周りが、どんなに心配しようとも、ひとりっ子の私を実家から出してくれた父。


これは、亡くなった父の優しさと懐の深さが詰まった、今でも私が大切にしている言葉なのです。(2008年に70歳で他界)



My History|08|へつづく・・・



* * * * *

ごく普通のサラリーマンとごく普通の兼業主婦だった30代の夫婦。

土地なし資金なしコネなしから、夢だったログハウスをハーフセルフビルドすることに成功。

その後すぐに子どもに恵まれ、出産を機に自然豊かな移住先で起業。

10年以上たった40代の今現在でも、雇用されることなく好きなことを仕事として、愛する家族と琵琶湖を望むログハウスで過ごす時間がたっぷりある。

その理由とは…。

動画で私自身が語っています(●´ω`●)↓

  • 田舎で暮らしたい!
  • 環境の良い土地へ移住したい!
  • ライフスタイルを変えたい!
  • 好きなことを仕事にしたい!
  • 理想のマイホームを建てたい!
  • 家族仲良く暮らしたい!
  • 夫婦関係を良くしたい!
  • もっと健康になりたい!
  • もう少しお金に余裕が欲しい!