こんにちは。まごきょんです(*´ω`*)
前回のMy History|05|習い事のことからの続きです。
中学生時代で人生を決断?!
〔次女が保育園で使うスモックを縫いました〕
さて、中学生の私に戻りますね。
ここでさっそく、人生の大きな分岐点がありました。もちろん高校進学のことです。
祖母の影響で、洋裁にすっかりハマっていた私は、家庭科の授業でも友達にミシンの達人と呼ばれるほど。パジャマの製作は、先生も驚くほどの出来栄えでした。
ジュニア向きの洋裁雑誌があって、付録の型紙で洋服や小物を作っていましたねぇ。もう、寝食を忘れるほどに大好きだったのです。
ですから中3の頭くらいには、家政科のある専門的な高校へ進もうと考えていました。
つまり、すでに将来の道を決めていたんですね。そう「好きなこと」を仕事にすることに、なんの疑問も感じていなかった頃。
(ところが後に「好きなことを仕事にする」ことが、どんなに大変かを初めての就職で知ることになるのです…。あ、もちろん「今」は、それができるんだよと証明していますけどね^^)
両親からも「これからは、手に職をつけなさい。」と、ずっと言われていたこともあり、普通にそう思っていたんです。それに私のすることには、ほとんど口出しせずに尊重してくれていましたから。
なので、進路は「家政科のある○○高校」と書いたのですが・・・。
担任の先生のアドバイスで・・・
ところが担任の先生は、普通科の高校へ進学することを強く勧めてくれました。美術の先生だったので、創作的なことにもちろん理解はあったと思います。
その時、先生がおっしゃっていたのは「普通科高校へ進んだほうが、そのあとの専門学校の選択肢がとても多いよ。」でして、実は説得に近かったかもしれません^^;
できるだけ、普通科の高校へ入学させることが、当時の中学校の使命(?)だったのでしょうか。
先生のその言葉を信じて、結局私は、高校の普通科を受験して進学しました。
高校へ進学する前の中学生の頃は、勉強と部活、父との週末のスキー通い、洋裁などの創作活動。あと、勉強を理由に友人の家を行き来すること。
そんな毎日。
そうそう!お友達のお母さんが作ってくださる夕食(ラーメンの出前もありw)が、とても楽しみで、いつも誰かの家で勉強していた頃もありましたね。自分ち以外の晩ご飯とか、めっちゃ新鮮でしたもの。
あ、もちろん我が家にも来てもらっていましたよ。
そう言えば去年地元の友人と再会した時、30年以上ぶりにこの「晩ご飯およばれめぐり」の話が出たんです。
で、その幼なじみは、ウチの母が作った料理を覚えている、というではありませんか…!(スゴイな、Sちゃんの記憶力)
ところで、当時の勉強会ですが「本当にちゃんと勉強をしていたのか?」ですって…!?
そりゃもう皆んなで集まっては、恋バナや、マンガを借りて読んだりと、ほぼ勉強以外のことが占めていたってのは、もちろん内緒です(笑)
そしてこれらが、楽しすぎたことしか思い出せません…(´∀`;)
意外にも友達関係がややこしいとか、反抗期とか、勉強で挫折するとか、ほとんど縁がなかったような…?!はたまた記憶から抹消されているのか。
ある意味、小学校時代が過酷(?)だったからなのか、中学校時代はいたって平和そのもの、充実した日々でした…。
My History|07|へつづく・・・
* * * * *
ごく普通のサラリーマンとごく普通の兼業主婦だった30代の夫婦。
土地なし資金なしコネなしから、夢だったログハウスをハーフセルフビルドすることに成功。
その後すぐに子どもに恵まれ、出産を機に自然豊かな移住先で起業。
10年以上たった40代の今現在でも、雇用されることなく好きなことを仕事として、愛する家族と琵琶湖を望むログハウスで過ごす時間がたっぷりある。
その理由とは…。
動画で私自身が語っています(●´ω`●)↓
- 田舎で暮らしたい!
- 環境の良い土地へ移住したい!
- ライフスタイルを変えたい!
- 好きなことを仕事にしたい!
- 理想のマイホームを建てたい!
- 家族仲良く暮らしたい!
- 夫婦関係を良くしたい!
- もっと健康になりたい!
- もう少しお金に余裕が欲しい!